2007年8月30日木曜日

「機械」だった私に自信

札幌市内の会議室、6月の土曜日。北海道の企業が開発した商品の評価と販売戦略について、首都圏の女性グループ「チームこらぼ」による報告会が開かれていた。

 「魚肉ソーセージの味は大好評でしたが、パッケージには否定的な意見が多かったです」。外資系飲料会社に勤める齊藤陽子さん(35)は、東京の20~30代女性にモニタリング調査をした結果を説明した。「パッケージ内にすき間が多く、中身が少なく見える」「地味。何を伝えたいかわからない」……。

 出席したのは道内4社の役員ら約20人。役員の一人は「多角的な評価で商品の弱点が見えた。素晴らしかった」。2社はパッケージ変更を検討し始め、1社は「別の商品の評価も」と依頼した。

 「こらぼ」が生まれたのは05年7月。立教大経済学部の廣江彰教授が同年2月、女性のキャリアをテーマに社会人講座を開いたところ、意欲と情報収集力のある30代の女性たちが集まった。

 廣江教授はそのころ、北海道で地元企業の活性化を支援するノーステック財団から協力を頼まれていた。講座の参加者5人に声をかけて「こらぼ」を結成。プレゼンテーションや商品比較の方法を指導し、財団の委託を受けて道内企業の商品の評価を始めた。

 「企業の多くは女性の能力を生かせていない。彼女たちの力を実証したいと思った」と廣江教授。5人の勤務先は損害保険会社や食品会社など様々で、3人は大企業の一般職。多くが会社に内緒で活動している。

 齊藤さんは、最初は気軽な気持ちで廣江教授の講座に参加した。「自分のことばかり考えていた私が、仲間と出会って、社会に貢献したいと思うようになりました」

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 もう一人のメンバー、田中七海さん(35)=仮名=は7月末、3年勤めた東京都内の金融系の会社を辞めた。一般職だった。入社当時は就職難の時代で、総合職か一般職か選ぶ余裕などなかった。

 経理部門で子会社などの税務・決算書類を作っていた。前任の総合職社員から簡単な引き継ぎを受けたが、簿記2級の資格があっても理解できない。上司に質問しても「それは君の仕事だろう」。自分で勉強しようと決めた。

 金融や税務、法律の入門書を繰り返し読み、自社や他社のホームページを見て専門用語のマニュアルを作った。総合職社員が参加する社外の講習会に、「私も行かせて下さい」と上司に頼んだが、即座に退けられた。「今度、一般職向けの研修をするからさ」

 いっそ、総合職になれないか。人事評価の際の面談で、総合職になる方法を尋ねた。

 「何かすごいことをすればいいんだよ」「すごいことって何ですか」「うーん、よくわかんないけど、何かすごいことだよ」。部長、課長、チームリーダー。誰もまともに取り合おうとはしなかった。

 そのころから、毎日下を向いて仕事するようになった。時には誰とも口をきかずに一日が終わる。出社してパソコンに向かった途端、涙がポロポロ止まらなくなった。私の仕事に誰も関心を払わない。評価もされない。それじゃ、機械と同じじゃないの――。

 女性向け無料誌で廣江教授の講座の案内を見つけ、とびついた。終業後や週末、課題に取り組む。企業への報告会が近づくと、「こらぼ」のメンバーで何度も喫茶店に集まり、議論を重ねた。睡眠時間は激減、見かねた母や友人にやめろと言われたが、企業の担当者らに喜ばれ、ぐんぐん自信がつくのが楽しかった。

 会社で涙が出るたびに、自分に言い聞かせた。「会社にいる自分がすべてじゃない。私は大丈夫」

 会社を辞め、8月から教育関係の仕事に就いた。「こらぼ」でつけた自信が、背中を押した。「私たちのような思いを抱えた女性がたくさんいるはず。今度はその人たちの役に立てたらいいね」。メンバーで、そう話している。

どんどん頑張ってもらいたいですね!